きみこの話

小学生時代の図工の時間に
「ゆかいなお面を作ろう」という課題があり

私は自分の中のゆかいさを必死で絞り出し
全力でお面を作った。
出来るだけ楽しげでカラフルな色を選んで大胆に着彩。
仕上がったそれはどことなくメキシコっぽい風合いを漂わせていたように思う。
今思い返してみてもあのお面は我ながらなかなかの出来であった。

完成したお面を提出すると
先生は「おお、いいね。」と頬を緩め
普段あまり先生に褒められることのなかった私は
得意な気分になった。

「で、名前は?」

は?

「お面の名前はどうする?名前をつけることになっていただろう」

そうだった。
製作に夢中ですっかり忘れていたが、出来上がったお面に名前をつけるところまでが課題だった。
そこで私は困惑した。
それというのも私には大切にしているお人形やぬいぐるみもなければペットもおらず
何かに名前をつけるという経験がなかった。
名前というものは大切な何かに想いを込めて与えるもので
それはずっと先のこと……いつか遠い将来子どもを持つことがあればその時は考えるだろうけど
今の自分には関係のないことだと思っていた。
それが今、この瞬間
私に課せられている!

「考えてないのか?」

先生の表情が次第に曇りだす。
どうしよう。せっかく褒めてもらえたのにここでまた評価が下がることだけは避けたい。

「きみこ……」

「なに?」

「『きみこ』です。お面の名前」

「……そうか」

その後、クラスの友人とお面に何と名付けたかを話した時に
「チャッピー」だの「プリン」だの「ララ」だのファンシーでポップな名前が飛び交ったため
自分の名付けセンスの方向性が間違っていたのではと冷や汗を流したものの
どうせすぐに休みに入るしあのお面が教室で展示されることもないだろう。
私は適当に取り繕ってその場をしのぎ
お面のことはすぐに忘れた。

きみこは帰ってこなかった。

事もあろうに、市のコンクールで入選してしまったのだ。

両親は私の入選を大変喜び、
とある週末、入選作品が展示されている会場へ私の作品を見に行くことになった。

会場の一角、壁に飾られたいくつかのお面の中に奴は居た。
正統派カラフルな可愛らしいお面たちの中で
ひとりご機嫌なラテン味溢れる笑顔で「きみこ」を名乗っていた。

私はどうしてあの時
「きみこ」と名付けたのだろう。
友人にも当時好きだった漫画やテレビにも「きみこ」という名前の人物はいなかった。
小学生の頭からとっさに出てくるには渋めな名前ではあるけれど
美しい名前だなあ「きみこ」

保育園で作ってきたという鬼のお面を自慢げに見せてくるまめの隣でそんなことを思い出し
きみこに想いを馳せた昨夜。

この話を聞いた夫はひたすら笑っていた。

コメント

  1. 私の叔母の名はきみこです。
    74歳、ファンキーで愉快な人です。

    素敵な名前です(^ ^)

  2. 私の母はきみ子

    語尾に「はっきり言って」をつけるのが口癖。

    しかしはっきり言ってない時の方が多い。

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